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福岡地方裁判所小倉支部 昭和62年(ヨ)155号 決定

申請人

荒井久詞

申請人

南雅章

申請人

廣津秀生

申請人

安部晴善

申請人

渡邊清志

右五名訴訟代理人弁護士

住田定夫

横光幸雄

荒牧啓一

前田憲徳

年森俊宏

被申請人

学校法人九州工業学園

右代表者理事

藤井善信

右訴訟代理人弁護士

田村一巳

主文

一  申請人荒井久詞及び同南雅章が被申請人に対しそれぞれ雇用契約上の地位を有することを仮に定める。

二  被申請人が昭和六二年四月二五日付でした申請人廣津秀生、同安部晴善及び同渡邊清志に対する各停職の意思表示につき、その効力をそれぞれ仮に停止する。

三  被申請人は、申請人荒井久詞及び同南雅章に対し、同年五月二五日から本案第一審判決言渡しまで、申請人廣津秀生、同安部晴善及び同渡邊清志に対し、同年五月一日から同年七月二五日まで、いずれも毎月二〇日限り、それぞれ別紙(略)賃金一覧表平均給与欄記載の各金員を仮に支払え。

四  申請人らのその余の申請をいずれも却下する。

五  申請費用は被申請人の負担とする。

事実

申請人らは、主文第一・二項及び第五項と同旨並びに「被申請人は、申請人荒井久詞(以下「申請人荒井」という。)及び同南雅章(以下「申請人南」という。)に対し、同年五月一日から本案判決確定まで、申請人廣津秀生(以下「申請人廣津」という。)、同安部晴善(以下「申請人安部」という。)及び同渡邊清志(以下「申請人渡邊」という。)に対し、同年五月一日から同年七月二五日まで、いずれも毎月二〇日限り、それぞれ別紙賃金一覧表申請人ら主張給与欄記載の各金員を仮に支払え。」との裁判を求め、被申請人は、「本件申請をいずれも却下する。申請費用は申請人らの負担とする。」旨答えた。

当事者の主張については、申請人ら昭和六二年五月七日付仮処分申請書及び同月二九日付・同年六月一九日付各準備書面並びに被申請人同年五月二九日付答弁書及び同年六月一一日付・同月一九日付・同月二〇日付各準備書面記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

(当事者及び懲戒処分について)

次の事実は、いずれも全当事者間に争いがない。

(一)  被申請人は、その肩書住所地において、九州工業高等学校との名称の高等学校を開設する学校法人である。また、申請人らは、いずれも、同高等学校の教諭として雇用された教員であり、かつ、同高等学校アルバム・修学旅行委員会(以下「アルバム委員会」という。)の委員(以下「アルバム委員」という。)であった。

(二)  被申請人は、昭和六二年四月二五日、申請人荒井及び同南に対し、「アルバム問題にかかわる校長、教頭の一連の職務上の指示・命令に対する反抗・強要・職務命令違反等」を理由にいずれも解雇、その余の申請人らに対し、「アルバム問題にかかわる校長、教頭の一連の職務上の指示・命令に対する職務命令違反等」を理由にいずれも停職三箇月の各処分の意思表示をそれぞれ行なった。

(懲戒処分事由の存否について)

被申請人の主張する懲戒処分事由は、以下のとおりである。

(一)  昭和六二年三月五日、アルバム委員会において、多くの委員が「今回のことは我々の方に問題があるので、事務長に謝ろうではないか」と言ったのに対し、申請人南は、「言葉を選んで言わんといかんから」と言い、問題をこじらせる方向に引っ張っていった(申請人南による教唆、煽動)。

(二)  同月六日、吉田繁美校長(以下「吉田校長」という。)が申請人南から事情聴取をした際、同申請人は、「黙秘権を行使しますよ」、「記憶にない」、「顛末書は職務命令で出せと言っているのか」などと極めて挑戦的、反抗的態度をとった(申請人南による校長への反抗、指示、命令無視)。

(三)  同日、吉田校長から出されたアルバム委員各人ごとの顛末書の提出命令に対し、申請人らは、五名連名で、顛末書とは考えられない文書一通のみを提出した(申請人ら全員による職務命令無視)。

(四)  同月八日午後一一時一五分ころ、申請人南は、吉田校長の自宅に電話し、「あんたは私の人権を侵害しましたね」と全く非常識な言い掛かりをつけた(申請人南による非常識な時間の非常識な言辞、脅迫)。

(五)  同月九日、西村和麻教頭(以下「西村教頭」という。)からの二度にわたる待機命令に対し、申請人らは、いずれもこれを無視し無断下校した(申請人ら全員による職務命令無視、違反)。

(六)  同月一〇日、吉田校長が申請人らから事情聴取した際、

(1)  申請人荒井は、「申請人ら五名一緒に事情聴取せよ」と怒鳴り、それが認められないと、「書記をおけ」と言って事情聴取をできなくし、文書で職務命令を要求し、吉田校長がやむを得ず事情聴取を断念して退去を求めてもこれに従わず、「文書で退去命令を出せ」と強要し、同校長がアルバム委員長としての仕事の経過報告書を提出するよう命じても、まともな経過報告書を提出しなかった(申請人荒井による校長への反抗、妨害、職務命令無視、強要)。

(2)  申請人南は、「申請人ら五名一緒に事情聴取せよ」と反抗し、吉田校長の質問には答えず、「記憶にない」を繰り返し、同校長が各人ごと顛末書を出すよう口頭で命令したのに対しても、「文書で職務命令を出せ」と強要した(申請人南による校長への反抗、職務命令無視、強要)。

(七)  同日、吉田校長から出された各人個別の顛末書の提出命令に対し、申請人らは、いずれも先に提出した連名の顛末書と一言一句違わない文書を提出した(申請人ら全員による職務命令無視)。

(八)  同日、吉田校長が出した同月一一日北方市民館で開かれる会合に出席せよとの職務命令に対し、申請人らは、いずれも弁護士及び日本共産党の県議会議員を立てて、これを拒否した(申請人ら全員による職務命令違反)。

(九)  同年四月六日、吉田校長が申請人荒井及び同廣津に対し、昭和六二年度校務運営上の都合により、運動部の部長ないしコーチに任命しないこととなった旨通告した際、

(1)  申請人荒井は、「納得できない、理由を文書で書け」と強要し、同校長がこれを拒否すると、約四〇分後に再度やってきて、同校長に対し、「先程の校長の発言を文書にしたのでサインせよ」と強要した(申請人荒井による校長への強要)。

(2)  申請人廣津は、同校長に対し、「納得できない、文書で理由を書け」と強要した(申請人廣津による校長への強要)。

そこで、以下、懲戒処分事由の存否につき判断する。

一 まず、本件紛争の発端となったアルバム問題についてみるに、疎明によれば、以下の事実が認められる。

(一) アルバム委員会は、昭和五九年四月、昭和六二年三月卒業予定者の修学旅行及び卒業アルバムの作成を担当するため、申請人らを含め合計八人のクラス担任教諭により編成され、申請人荒井が委員長、同南が副委員長に各選任された。アルバム作成作業は、昭和六一年ころから始められ、写真撮影及び印刷を業者に発注し、各担任教諭の協力も得て校正作業を進め、昭和六二年二月一六日には、完成した卒業アルバムが業者から納品された。

(二) 同月二八日、各クラスに卒業アルバムを配布したところ、電気科三年三組担任教諭からアルバム委員会に対し、同クラスの生徒のうち一八人の住所録が欠落している旨の連絡が入った。そのため、同委員会は、業者に手配して、欠落した生徒の住所録を印刷させた上、卒業式当日である同年三月二日、全卒業生に対し、補充住所録のシール及び欠落の責任が業者にある旨記載された業者名義の詫び状を配布した。

(三) 同月三日午後、業者が来校し、申請人荒井立ち会いの上、吉田校長に対し、生徒住所録の一部欠落等の印刷ミスについて詫びたことから、卒業アルバムの印刷ミスが学校当局の知るところとなった。その後、同校長らがアルバムを子細に検討した結果、住所録の一部欠落のほか、校歌の一部欠落、理事長の写真がボケていること、更に、昭和六一年一一月一日付で宮下一彦が新事務長(以下「宮下事務長」という。)として着任しているにもかかわらず、前事務長がそのまま事務長として登載され、しかも、事務長は管理職であるのに、前年度の卒業アルバムとは異なり、他の職員と同じ大きさの写真とされていることなどが判明した。

(四) 同月四日午前、青少年の非行防止と地域住民の生活相談を主たる目的とする正育会会長で部落解放同盟小倉地区協議会委員長でもある木村正幸(以下「木村」という。)から、宮下事務長に、「アルバムの件について父兄から連絡があったので、午後三時ころ校長に会いたい」との電話が入った。その後、吉田校長は、有給休暇で欠席の申請人南を除くアルバム委員七名に対し、アルバムの前記問題点について、木村が来校する午後三時ころまでに書面で答えるよう命じた。そして、午後一時四〇分ころからは、吉田校長及び西村教頭をも交えて文章の検討を進めていたところ、木村ほか二名が来校し、木村側の求めにより、午後二時五〇分ころから、吉田校長、西村教頭、宮下事務長、伊藤憲治常務理事、アルバム委員七名及び木村らによる会合がもたれた。

その席で、アルバム委員七名に対して、まず、木村が卒業アルバムの住所録一部欠落につき、次いで、宮下事務長がアルバムでの事務長の取扱等につき発問したが、その中で、同事務長が「意図的に事務長を差別したのか」と問うたのに対し、申請人荒井が「事務長がそう思うのなら、そう思ってもらってよい」旨答えたことから、同事務長、木村らが差別云々につき次々とアルバム委員を執拗に詰問し、最後に、同事務長が、同人の差別問題について、「私の身柄を木村さんに預ける」旨発言した。そして、右会合において、同校長はほとんど発言していない。

以上の事実によれば、申請人らが作成に関与した卒業アルバムに申請人らの不注意による誤りがあったことは明らかであるが、吉田校長は、申請人らアルバム委員の協力の下、事実関係の解明が進められつつあった段階で、不用意にも、学外者でアルバム問題とは無関係の木村らをアルバム委員に会わせ、その席で、言葉の行き違いから、宮下事務長を差別したか否かというアルバムとは直接関係のない問題を中心に、同事務長及びこれに同調した木村らが申請人らアルバム委員に対し執拗な詰問を繰り返した際も、これを制止したり、執り成すこともなく、終始容認し続けていたことが認められるのであり、このような経緯に照らすと、申請人らが同校長ら学校当局の姿勢に疑問を持ち、アルバム問題についての事情聴取に異常なまでの警戒感を抱いたとしても、やむを得なかったものというべきである。

二 そこで、以上の経緯を前提として、被申請人が懲戒事由として主張する事実関係につき、順次検討することとする。

1 昭和六二年三月五日のアルバム委員会における申請人南の教唆、煽動について

被申請人主張の事実を認めるに足りる疎明はない。

2 同月六日の申請人南による校長への反抗、指示、命令無視について

疎明によれば、午後三時四五分ころ、吉田校長らが申請人南から事情聴取した際、同申請人は、「自分に不利になることは言えない」、「黙秘権を使いたい」、「記憶不鮮明な点もあり言えない」などと答え、アルバム委員会内部の作業分担についても、「アルバム委員会として仕事してきた」と答えて、質問にまともに答えなかったことが認められる。

右認定の申請人南の言動は、同校長らによる事情聴取の目的に反するものと認められるが、これらは、前示のとおり、同月四日の同校長らの言動に起因する同申請人の学校当局による事情聴取に対する不信感ないし警戒感に基づくものと認められるから、学校当局側でこのような不信感を解消する方策を何ら講じない以上、同申請人が右のような非協力的姿勢ないし頑な態度をとることもやむを得なかったものと認められ、右言動をもって懲戒処分の理由とすることは許されないものというべきである。

3 申請人ら全員による顛末書提出命令無視について

疎明によれば、同月六日、吉田校長が申請人らに対し、アルバム編集作業の経過、分担した業務等全体の経緯が分かる各人ごとの顛末書の提出を命じたのに対し、申請人らは、同月九日、連名で、アルバム編集作業は共同作業で当たり、学校当局から指摘のあった点についてはいずれも気付かなかった旨の簡略な顛末書を提出したこと、更に、同月一〇日、同校長が申請人らに対し、各人ごとの顛末書の提出を命じたのに対し、申請人らは、同日、右同文の顛末書を各人ごとに提出したことが認められる。

右認定の申請人ら作成の各顛末書は、いずれも簡略に過ぎ、顛末書提出を命じた同校長の職務命令の趣旨に副わないものと認められるが、前項と同様の理由により、右各顛末書の提出をもって懲戒処分の理由とすることは許されない。

4 同月八日深夜の申請人南による非常識な言辞、脅迫について

被申請人主張の事実を認めるに足りる疎明はない。

5 同月九日の申請人ら全員による待機命令無視、違反について

疎明によれば、午前九時三〇分ころ、西村教頭が、吉田校長の指示に基づき、申請人荒井を通じて申請人ら全員に対し、アルバム問題の事情聴取のため、放課後も待機しておくよう命じたにもかかわらず、申請人らは、午後二時五五分ころまでに、全員、同校長らに無断で下校したことが認められる。

右認定の申請人らの無断下校は、明らかに同校長による待機命令に違反するものであるが、2・3項と同様の理由により、これをもって懲戒処分の理由とすることは許されない。

6 同月一〇日の申請人荒井及び同南による校長への反抗、妨害、職務命令無視及び強要について

疎明によれば、吉田校長らによる事情聴取に際し、申請人荒井は、「申請人ら五名一緒でなければ事情聴取に応じない」旨主張して個別の事情聴取を拒否し、二回にわたる口頭の退去命令に対しても、「自分が書記をする」と主張して退去せず、文書による退去命令を要求し、翌一一日までのアルバム委員会としてのアルバム編集作業の経過概要報告書提出等の職務命令についても、文書による命令を要求し、一一日、学校側に提出した回答書も、極めて簡略なものであったこと、申請人南は、「申請人ら同時の事情聴取でなければ答えられない」旨主張して個別の事情聴取を拒否し、顛末書の提出等の職務命令についても、文書による命令を要求したことが認められる。

以上認定の申請人荒井及び同南の各言動は、いずれも、学校当局の指示・命令に対して、異常なまでに非協力的かつ警戒心をあらわにしたものであるが、これらは、学校当局が、同月四日の前記会合の後も、申請人らの学校当局に対する不信感ないし警戒心を解消する方策を何ら講じないばかりか、アルバム問題について次々に職務命令を出して、申請人らとの間の溝を自ら深めていったことに起因するものと認められるから、右申請人両名の右各言動もやむを得なかったものと認められ、右言動をもって懲戒処分の理由とすることは許されないものというべきである。

7 申請人ら全員による同月一一日開催の北方市民館での会合への出席命令違反について

疎明によれば、吉田校長は、同月一〇日、申請人ら全員に対し、文書により、翌一一日北方市民館で開催される「アルバムに係る差別事象(ママ)の話し合い」との名称の会合への出席を命じたが、申請人らは、いずれも、右会合への出席問題につき弁護士及び日本共産党県会議員に依頼して、同月一一日、学校当局に対し、右職務命令が無効かつ不当な命令であり、この件について処分が行なわれた場合にはあらゆる法的措置をとる旨申し入れ、右会合に出席しなかったことが認められる。

右認定のとおり、申請人らが同校長の職務命令に違反したことは明らかであるが、疎明によれば、右会合は、木村が会長である正育会主催のものであり、前示のアルバム問題、事務長差別問題等につき学校当局及びアルバム委員から事情聴取することが目的であったことが認められ、こうした会合の場合、申請人らの対応次第で、同人らに対する糾弾集会へ移行することもあり得ることは、容易に推認されるところである。したがって、同校長としては、学内の問題であるアルバム問題に関して、部下である申請人らを学外者からの非難・糾弾から擁護すべき立場にあったというべきところ、右職務命令は、逆に、申請人らに対して、右会合への出席を命じることにより、申請人らを学外者による非難・糾弾の危険にさらすもので、組織の長としてあるまじき行為というべきであり、その職務執行上の裁量の範囲を逸脱した違法なものといわなければならない。

よって、右違法な職務命令に違反したとしても、何ら懲戒事由とはならないというべきである。

8 同年四月六日の申請人荒井及び同廣津による校長への強要について

疎明によれば、吉田校長が、アルバム問題につき反省の色がないとして、運動部の部長ないしコーチに任命しない旨通告した際、申請人荒井は、「納得できない、理由を文書で書け」と要求し、その後、右通告の際の発言をメモした書面を校長室に持ってきて、「先程の校長の発言を文書にしたので、サインせよ」と要求したこと、申請人廣津は、「納得できない、理由を文書で書け」と要求したことが認められる。

右認定の申請人荒井及び同廣津の各言動は、いずれも同校長への不信感をあらわにしたもので、不穏当な印象を与えるものであるが、前示の同年三月一一日までの経緯、更に、疎明によれば、その後、学校当局から、関係修復のための何らの働きかけもなかったことが認められる点、しかも、申請人両名が突然運動部の部長ないしコーチを解任されたことをも勘案すると、申請人両名の学校当局に対する不信感に基づく右の各言動はやむを得なかったものというべきであり、右各言動をもって懲戒処分の理由とすることは許されない。

9 結論

以上のとおり、被申請人の申請人らに対する本件各懲戒処分は、いずれも理由を欠くというべきであるから、無効と認められる。

(被保全権利)

前示のとおり、本件懲戒処分はいずれも無効であるから、申請人荒井及び同南は、それぞれ被申請人に対する雇用契約上の地位を有し、その余の申請人らに対する各停職の意思表示も、いずれも無効というべきである。したがって、申請人らは、その被保全権利として、懲戒処分無効を前提とする雇用契約上の地位及び賃金請求権を有するものと認められる。

そして、申請人らの右処分前の賃金は、申請人渡邊については、疎明により別紙賃金一覧表記載のとおりと認められ、その余の申請人らについては、同表記載のとおりであることにつき全当事者間に争いがない。また、疎明によれば、申請人荒井及び同南については、昭和六二年五月二五日以降、その余の申請人らについては、本件懲戒処分の意思表示から三箇月間の賃金が支払われていないことが認められる。

(保全の必要性)

疎明によれば、申請人らは、いずれも被申請人からの賃金を自ら及びその家族の生活の糧としていることが認められ、しかも、申請人荒井及び同南については、懲戒解雇の処分を受けたことに伴い、私立学校教職員共済組合から、組合員の資格を喪失したとして、住宅購入資金として借り入れた共済貸付金の全額即時償還の請求を受けていることが認められ、右認定事実によれば、申請人らは、いずれも本案判決を待ったのでは日々の生活にも困窮することは明らかである。

したがって、本件申請のうち、申請人荒井及び同南につき、雇用契約上の地位を仮に定め、かつ、昭和六二年五月二五日から本案第一審判決言渡しまでの処分前平均賃金相当額の仮払い、その余の申請人らにつき、停職の意思表示の効力を仮に停止し、かつ、同年五月一日から同年七月二五日までの処分前平均賃金相当額の仮払いの範囲内において、保全の必要性があるものと認められる。

(結論)

以上の次第で、申請人らの各申請は、主文第一ないし第三項掲記の範囲内で理由があるからその限度で認容し、その余は失当としてこれを却下し、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 渕上勤 裁判官 中谷雄二郎 裁判官 井戸謙一)

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